福岡地方裁判所 平成10年(わ)1037号 判決 1999年12月21日
主文
被告人を懲役一年に処する。
未決勾留日数中二八〇日を右刑に算入する。
本件公訴事実中死体遺棄の点については、被告人は無罪。
理由
(犯罪事実)
被告人は、平成九年九月三〇日、福岡市<以下省略>a旅館二階七号室において、C1ことC(当時二九歳)に対し、その顔面等を手拳で複数回殴打するなどの暴行を加え、よって同人に一時失神状態に陥らせる傷害を負わせた。
(証拠) 省略
(判示暴行態様を認定し、傷害致死罪のうち致死の点及び死体遺棄罪を認定しなかった理由)
一 本件公訴事実は、次のとおりである。
「被告人は、
第一 平成九年九月三〇日午後八時三〇分ころ、福岡市<以下省略>a旅館二階七号室において、C1ことC(当時二九歳)に対し、同人の頭部等に手段不明の暴行を加え、同人に頭蓋冠、頭蓋底骨折の傷害を負わせ、よって、そのころ、同所において、同人を右傷害に基づく外傷性脳障害により死亡するに至らしめた。
第二 B、Aと共謀の上、同年一〇月一日ころ、福岡県前原市<以下省略>の山林内に、前記Cの死体を投棄し、もって死体を遺棄した。」
二 証拠上認められる事実
関係各証拠によると、以下の事実が認められる。
1 被告人は、平成八年五月ころ、福岡市内の人夫出しの会社である有限会社b工業(以下、「b工業」という。)の土木作業員となり、同年九月ころから、岐阜県下呂市にある大ケ洞ダム建設工事現場(以下、「ダム建設現場」という。)に派遣された。被告人は、同所において、被告人と同様、b工業から派遣されていたC1ことC(以下、「被害者」という。)、B(以下、「B」という。)及びA(以下、「A」という。)の三名とともに土木作業員として稼働し、その間、被告人は右三名と同じ飯場に寝泊まりし、温泉に出掛けたり、飲みに行くなどして行動をともにしていた。
2 Aは、同年一〇月ころ、ダム建設現場から福岡市内の仕事に変わったため、ダム建設現場から離れた。Bは、同九年八月中旬に盆休暇を取り、被害者とともにb工業に帰った後は、福岡市内の工事現場で仕事をすることになり、以後ダム建設現場には戻らなかった。一方、被害者は、同月一八日ころ、盆休暇を終えてダム建設現場に戻った。被告人は、被害者らと同じころ、盆休暇を取って福岡に帰省したが、その後、ダム建設現場には戻らず、b工業を自然退社となった。
3 同年九月二七日、被害者は、b工業の社長から九月分の給料として約三五万円余りを受け取った後、ダム建設現場で働いていたE(以下、「E」という。)の車に乗って福岡に向かった。Eは、車で熊本に帰省するために福岡に向かったものであるが、福岡において被告人と会い、同人に予めその仕入れを依頼していた覚せい剤を受け取るつもりであった。被害者とEは、翌二八日、福岡に到着して被告人と会い、被告人、被害者及びEの三名は、その晩同じホテルに泊まるなどして過ごした。その後、被害者及び被告人の両名はEと別れ、二人で数箇所のホテルを泊まり歩いた。
4 同月三〇日夕方過ぎころ、被告人及び被害者は、福岡市中央区清川に所在するa旅館(以下、「a旅館」という。)の二階の七号室に入室してビールを飲み始めた。その後、被告人から電話で呼び出されたA、Bの両名は、b工業が業務用に使用している車(トヨタカローラバン)に乗ってa旅館七号室を訪れた。その後、同室内において、被告人、被害者、B及びAの四名は、同室六畳間のほぼ中央に置かれた、縦七三センチ、横六〇センチの木製座卓を囲みビールを飲むなどして過ごした。
5 同年一一月中旬ころ、被害者が住んでいたダム建設現場の寮の部屋から、「b工業へ」と書かれた茶封筒に入った現金三一万円が見つかった。
6 同年一二月一五日、福岡県前原市<以下省略>の山林内において、着衣をまといブーツを履いた人の白骨死体が発見された。右発見の際、右ブーツの右足側の親指根元付近部には笹の葉と泥が付着していた。同一〇年八月四日、前原市<以下省略>所在の相原池(以下、「相原池」という。)で釣をしていた小学生が、同池に浮かぶ茶色のセカンドバッグを発見して警察に届け出た。右セカンドバッグ内には被害者名義の運転免許証及び預金通帳、黒色二つ折りの定期券入れ、現金二万三七六九円等が在中しており、これら在中物の発見を手掛りに右白骨死体の身元の確認が行われた結果、同死体は被害者の遺体であることが判明した。
7 同年一〇月一九日、被告人が、被害者の死体を運ぶ途中に同人の携帯電話機を相原池に投棄したとのBの供述に基づいて、相原池の捜索が行われた結果、同池から被害者が同九年九月二日から所有していた携帯電話機が発見された。
三 被害者の死体の鑑定結果等
被害者の白骨死体を鑑定した医師G作成の鑑定書並びに同人の捜査及び公判段階における各供述によると、被害者の死亡推定日時は平成九年九月ないし一〇月ころであり、被害者の全身は高度に白骨化して内部臓器等が消失していたため、その厳密な死因は不明であること、他方、被害者の右頬骨弓は骨折によってほぼ完全に欠落しており、同人の頭蓋には頭蓋冠から頭蓋底に波及する広範囲の線状骨折があり、同線状骨折は、頭蓋冠が左右方向に強く圧迫されて生じたというよりも、同人の右側頭部に非常に強大な力が局所的に作用して生じたと考えるのが妥当であり、したがって、立位ないしは横臥以外の体位にある被害者がその右頬部から頭部付近を、表面が硬く滑らかな棒状の物、例えば野球の金属バット等で殴打されたことによってできたと考えるのが自然であること、右頬骨弓の欠落すなわち同骨弓部の前後の骨折は、被害者の右頬を人が手拳で強く殴打したことでも生じ得るが、頭蓋冠及び頭蓋底の骨折は人の手拳による殴打だけでは生じ得ず、例えば手拳で殴打された被害者が転倒してその頭部を壁やテーブル等に激しく衝突させた場合等に生じ得るものであること、仮に生前被害者に右頭蓋冠及び頭蓋底の骨折が生じた場合、同人は意識を失った可能性が高く、また、外傷性の脳障害が起きて被害者が死亡するに至ったことも考えられること、がそれぞれ認められる。
四 本件犯行状況に関するB供述の経過及び概要
1 Bの公判供述の概要
Bの当公判廷における供述の概要は、以下のとおりである。
平成九年九月三〇日の午後七時以降ころ、a旅館二階の七号室で、被告人、被害者、A及びBの四名は四角いテーブルを囲み、座って雑談をしながら飲酒した。その際、被告人がバッグの中から覚せい剤と注射器を取り出し、被告人、被害者、Aの順番で覚せい剤を回し打ちした。その後、被告人が被害者に対し、「Cちゃん、あんた幾ら持っとるね。」と聞いたところ、被害者は黒色のバッグの中から長方形の黒色の財布(札入れ)を取り出し、被告人に右財布の中身を見せた。その財布の中には、一〇万円札の束が二つか三つ入っていた。被告人は、被害者から財布を取り上げると、その中から現金を抜いて自己のポケットの中に入れ、財布だけを畳かテーブルの上に放った。被害者は、「返せ。」と言いながら、被告人の胸倉を左手で掴み、右手の拳骨で被告人の左頬を一回殴った。被告人は被害者に対し、「何しよっとか貴様。」と言って、自己の胸倉を掴んでいた被害者の左手を払いのけ、被害者に殴りかかると、被告人と被害者は立ち上がってその場で殴り合いとなった。AとBは、順に両者の間に割って入り、両者を引き離そうとしたが、いずれもはじき飛ばされて喧嘩を止めることはできなかった。被告人と被害者との間で一〇分間ほど殴り合いが続いた後、Aが、被害者をその後ろから羽交い絞めにし、被告人は、羽交い絞めにされた被害者の顔や頭を拳骨で殴った。その後、被告人は「B。」と呼んだ後、Bに被害者の足を押さえるように目で合図したので、Bは、被害者の両足のすねの辺りに両腕を回し抱え込むようにして押さえた。被告人は、AとBに押さえられて身動きできない被害者の顔や頭を一〇分間くらい拳骨で殴り続けた。その後、被害者は、両膝を畳について、テーブルの横にうつ伏せに倒れた。Aは、その顔を被害者の顔に近づけて同人の様子を窺うと、被告人に対し、「死んだぞ、おい。」「どうするとな、あんた。」と言い、これに対し被告人は、A及びBに対し、「今から捨てに行くぞ。」と言った。A、Bの両名は、被告人の指示に従い、被害者をa旅館七号室から運び出し、同旅館の外に駐車してあったb工業のライトバンの荷台に乗せた。その後、右ライトバンに乗った被告人、A、Bの三名は、被告人の指示により前原の方面へと向かい、その途中、被告人がライトバンを降りて被害者のバッグ及び携帯電話機を池に捨てた。そして、被告人、A、Bの三名は、前原駅を通過して竹薮のある山の中に入り、同所に被害者を遺棄した。
2 Bの捜査段階における供述経過
関係各証拠によれば、Bの捜査段階における供述経過は、概略、以下のとおりであったことが認められる。すなわち、
(一) 平成一〇年八月九日の時点では、Bは本件犯行への関与を全面的に否定していたが、
(二) 同年一〇月三日には、警察官を被害者の本件遺棄現場へと案内した後、被告人が被害者を短刀で刺し殺した旨の供述を行った。すなわち、平成九年九月三〇日午後八時ころ、清川にある旅館の二階の部屋で、被告人、被害者、A及びBの四人でビールを飲んで雑談をしていた際、被害者が被告人に覚せい剤を分けて欲しいと頼んだことをきっかけに、被告人と被害者が口論となり、腹を立てた被告人が被害者を足で蹴ったり拳骨で殴ったりした後、被害者の腹を短刀で数回刺して同人を殺したなどと供述した。
(三) しかし、平成一〇年一〇月一〇日には、以前の供述は全て虚偽である旨の供述を行って、自己の本件犯行への関与を再度否定した。
(四) 翌一一日には、前日一〇日に行った供述は、捜査官から被害者の着衣や部屋の畳に血液が付着していなかったこと等を指摘されて返答に窮し、自己が被告人の被害者に対する暴行に加勢していないことを捜査官に信用してもらえないのではないかと危惧した結果行った供述であるなどと述べた上で、真実は、被告人は被害者を刺し殺したのではなく、殴り殺したものである旨の供述を行った。被告人が刺し殺したとの虚偽の供述を行った理由について、本当のことを話すと、そばに居た自分やAも被告人と一緒に被害者を殺したのではないかと疑われると思ったからであるなどと供述し、同月一五日には、被告人一人で被害者を殺したことにするにはどうしたらよいか考えた末に、被告人が短刀で被害者を刺し殺したことにしたとの供述を行った。
(五) 同月一七日には、被告人の被害者に対する暴行への自己及びAの関与の事実を認めて、前記四1の公判供述とほぼ同旨の供述を行ったが、被害者が倒れた経緯については、Aが「おい。」と言った際にAが被害者から腕を放していたので、自分も被害者の足から腕を放したところ、被告人は、被害者の髪の毛を掴んでそのまま被害者の頭をテーブルに二回、力一杯叩き付けたところ、被害者はそのままうつ伏せに倒れたと供述した。Bは、当公判廷において、被告人が被害者の頭をテーブルに叩き付けたと供述した理由につき、被告人が被害者の頭をテーブルに叩き付けた事実はないが、捜査官から被害者の頭に骨折があると聞いたので、これに符合するように自分で考えて話したなどと供述した。
(六) 同月一八日には、Bは、捜査官からテーブルに傷等がついていなかったことを指摘されたため、被告人が被害者の頭をテーブルに叩き付けたという話が虚偽であったことを認め、次いで、被告人がハンマーで被害者の頭を殴って殺したとの供述を行った。すなわち、被告人から命じられて車の中にあったハンマーを取りに行き、同ハンマーを被告人に渡し、被告人がこのハンマーで被害者の頭を殴って殺した、同ハンマーは被害者の死体を遺棄した後にAが捨てたなどと供述した。しかし、Bは、自己が同ハンマーを捨てたと述べる場所に捜査官を案内した際、その場所を現場で厳密に特定することができず、おおよその場所を示してもそこからハンマーが見つからなかったため、翌一九日には右供述が虚偽であったことを認める供述を行い、以後は、前記1の公判供述にほぼ全面的に沿う内容の供述を行い、殺人容疑での逮捕後も同供述を変遷させることはなかった。
五 被告人の捜査段階における自白に対する検討
1 被告人の捜査段階における自白の概要は、以下のとおりである。
(一) 平成一〇年一〇月一八日付けの供述書における供述の概要
平成九年九月三〇日夜、清川のa旅館で被害者、B、Aとともに酒を飲んでいた際、被害者と覚せい剤で揉めて喧嘩となり、被害者が頭を打って動かなくなったため、被害者をAが運転するカローラバンに乗せて天神方面の病院に向かって走る途中、被害者が死亡した。三人で被害者の死体を前原の山(竹林)に捨てた。
(二) 検察官に対する平成一〇年一〇月二五日付け供述調書(二通)における供述の概要
平成九年九月三〇日夜、被害者、B、Aとともに、a旅館二階の部屋でビールなどを飲んでいた際、被害者が「私にも覚せい剤下さいよ。」と言ってきたので、「お前はぼけるから駄目だ。」と断った。それでも被害者はしつこく覚せい剤を要求したので、互いに立ち上がって喧嘩となり、被害者の顔を拳骨で一回殴ったところ、被害者は後ろに倒れ、壁に頭をぶつけて動かなくなったので、被害者を一人で肩に担いでAが乗ってきた会社の車まで運び、その後部座席に横たえた。被害者を連れていく病院を探すため、市内をぐるぐる回る途中、車を停めて被害者の体に触ると、被害者が冷たく硬くなって息もしていなかったので死んだと分かった。その後、B、Aとともに、被害者の死体を竹林のある前原の山に捨てた。被害者のバッグや携帯電話機は途中で捨てたと思うが、どこで誰が捨てたかについては覚えていない。
(三) 平成一〇年一〇月二八日付けの供述書における供述の概要
平成九年九月三〇日、a旅館で被害者、B、Aとともに酒を飲んでいた時、些細なことで被害者と喧嘩となり、被害者を殺した。被害者の死体は、A、Bに手伝わせて、b工業の車(カローラ)で前原の山中(竹林)に捨てた。被害者の死体を捨てに行く途中、被害者のバッグと携帯電話機を捨てた記憶がある。
(四) 警察官に対する平成一〇年一〇月三〇日付け供述調書(二通)における供述の概要
平成九年九月三〇日の午後七時以降、a旅館二階の部屋で、A、B及び被害者とビールを飲むなどしていた際、自分が覚せい剤を打ったところ、これを見た被害者が、「私にも覚せい剤を下さいよ。」と言ってきたので、「お前はぼけるから駄目だ。」と断った。それでも被害者は、しつこく覚せい剤を要求してきたので、あまりのしつこさに腹が立ち、立ち上がって座っていた被害者の顔面を拳骨で殴った。すると、被害者も立ち上がり、自分の顔面を拳骨で二、三回殴り返してきたので、自分も殴り返して被害者と殴り合いの喧嘩となった。右喧嘩の際、A、Bが自分と被害者との間に止めに入った記憶があり、AとBは被害者の体を押さえにかかっていたと記憶している。被害者との殴り合いの末、最後に自分が被害者の顔面を拳骨で殴って同人がよろけたので、更に同人の胸付近を強く押したところ、同人は後ろに倒れて壁に頭をぶつけその場に倒れ込んで動かなくなった。そこで、被害者を病院に連れていくため、同人をAらが乗ってきた白色ライトバンまで運んでその後部座席に乗せ、病院を探して市内を車で走り回った。その途中、車を停めて被害者の身体を揺すったところ、同人は全く応答せず息もしていなかったので、死亡したことが分かった。被害者のバッグと携帯電話機を誰がどこに捨てたかについては覚えていない。
2 被告人の捜査段階における自白に対する検討
被告人の捜査段階における自白は、被告人と被害者の殴り合いの状況や、被害者のバッグ及び携帯電話機を投棄した事実の有無等の点について微妙な供述の変遷が見られるものの、平成九年九月三〇日にa旅館で被告人、B、A及び被害者の四名が飲酒していた際に、被告人と被害者が些細なことから喧嘩となり、その後、被害者が壁等に頭をぶつけて動かなくなったので、同人を被告人、B及びAの三名が車で前原の山中まで運んで遺棄したという限度では、概ね一貫した供述をしていることが認められる。
また、被告人は、死体遺棄容疑で平成一〇年一〇月五日に逮捕された後、本件犯行を否認していたが、その後、右1に示すとおり供述して自白するに至り、さらに、平成一〇年一一月五日に殺人容疑で再逮捕されてからは、再度本件犯行を否認して後記六1に示すような供述をするに至ったものであることが認められるところ、被告人は、当公判廷において、捜査段階における自白は虚偽のものであり、かかる虚偽の自白を行った理由について以下のように説明する。すなわち、被告人は、検察官に虚偽自白を行った理由について、自己が自暴自棄になっていた上、Bが自己と一緒に被害者の死体を捨てに行ったと供述している旨聞かされたので、自己が本当に死体遺棄現場に行っているか否か確認するため、同現場に連れて行ってもらおうと思い本件犯行を認めたなどと説明し、他方、警察官に虚偽自白を行った理由については、検察官に本件犯行を認める供述を行ったため、警察官に対してもその顔を立てるため同様に認める供述を行ったなどと説明する。しかし、右いずれの理由も、自己が不利益を被ることになる虚偽の供述を敢えて行う理由としては説得力を欠いており不合理であると言わざるを得ない。したがって、捜査段階での自白は虚偽であるとする被告人の当公判廷における供述は俄に信用することができず、被告人の捜査段階における自白は、同人の体験供述を含んだものであると考えられる。
六 被告人の捜査及び公判段階における否認供述に対する検討
1 被告人の否認供述の概要
被告人は、検察官に対する平成一〇年一一月二六日付け供述調書及び当公判廷において、従前行っていた自白供述を翻し、概略、以下のように供述して、自己の本件犯行への関与を全面的に否定している。すなわち、平成九年九月三〇日午後六時ないし七時過ぎころ、被害者と二人でa旅館二階の部屋に入り、A、Bの両名にa旅館に来るよう電話で伝えた。その一時間くらい後に、A、Bがビールやつまみ等を持って同部屋を訪れ、その後、A、B及び被害者と世間話等をしながらビールを飲むなどした。飲み始めて一時間ほどした後、Aは、「車を戻さないかんけ。」などと言って、Bと二人で帰って行った。その後、一人で風呂に入った後、被害者と部屋で雑談をした。その雑談の際、被害者から「名古屋の山協建設に行くつもりなので、一緒に行きませんか。」などと誘われたが、「私はまだ行かれん。」などと言ってこれを断わると、被害者は、「自分は帰りますよ。」あるいは、「自分は消えますよ。」などと言って、セカンドバッグのようなものを一つ持って一人で部屋を出て行った。その一、二分後、a旅館の外に出て、周囲を歩いて一五分ほど被害者を捜し、さらに一〇分ほどa旅館の前に立って被害者を捜したが、被害者は見つからなかった。その後、居酒屋に入ってビールを飲んだ後、当時住んでいた今泉のマンションに戻り、一〇分後に再びa旅館二階の部屋に戻ったが、被害者は居なかったので、すぐに同部屋を出て、午後一〇時半か一一時ころに右マンションに戻った。その晩は同マンションに泊まり、その後も被害者からは何の連絡もなかった。
2 右供述に対する検討
被告人は、被害者がa旅館から姿を消した状況について、右1のとおり供述するが、被告人の平成一〇年一一月二六日付け検察官に対する供述調書及びEの当公判廷における供述等によると、被告人は、自身が死体遺棄容疑で逮捕された平成一〇年一〇月五日以降の一時期、被害者がa旅館からいなくなったのは、自己が平成九年九月三〇日夜にa旅館の部屋に入った後、当時住んでいた今泉のマンションに下着を着替えに行っていた間である旨供述していたことが認められ、被告人は、右のように供述を変遷させた理由を自己の記憶違いと説明するが、その供述変遷の程度は単なる記憶違いで説明できるほど些細なものではないと認められるので、右説明は合理的なものとは言い難く、また、変遷の見られる供述部分は被害者と会った最後の状況であり、かかる供述は、被告人の本件犯行への関与の有無を知る上で極めて重要な供述であると認められる。よって、被告人の否認供述は、その重要部分が理由なく変遷しており、極めて不自然な内容であると認められる。
また、Eは、被害者がダム建設現場に戻らなかったことから、平成九年一〇月四日に、被告人に被害者の消息を尋ねる電話をかけ、その後も被告人に同様の電話を複数回かけたが、被告人は、自分が被害者を博多駅の入り口まで送ったと答えるのみで、九月三〇日の夜に被害者がa旅館からいなくなったとは答えなかった旨供述しており、被告人も、Eに対して被害者がa旅館から姿を消した状況を話さなかったという限度では、これを認める供述をしている。したがって、被告人は、Eが被害者の安否を気にして何度も被害者の消息を尋ねてきているにもかかわらず、被害者がa旅館から姿を消したという、自身が被害者と最後に会った状況についてEに話していなかったことが認められるが、被告人は、Eにかかる話をしなかった理由については、当公判廷において、「別に気に留めていませんでした。」と述べるだけで、合理的説明を加えていないことが認められ、かかる点に照らしても、被告人の否認供述は不自然である。
七 B及び被告人の各供述の信用性並びに同各供述等から認定できる事実
1 まず、被害者を遺棄した状況について述べるB供述の信用性について検討する。Bの供述は、被告人にとって共犯者の供述であり、一般的には、自己の刑責の軽減を図るため、無実の者を自己の犯罪に引き込むなどの自己に有利な虚偽の供述を行う危険性が高いので、その信用性については慎重に吟味する必要があるところ、Bは、前記四で示したとおりその供述を著しく変遷させていることが認められるものの、被告人及びAとともに、被害者をa旅館の客室から車で前原の山中まで運んで遺棄したことについては、捜査段階の当初からほぼ一貫してこれを認める供述を行っていることが認められる。そして、Bが前原の山中に被害者を遺棄したという事実自体は、Bがこれを一貫して認める供述を行っていることや、同人が、本件犯行後、自ら捜査官を被害者の死体遺棄現場へと案内しており、その際、本件犯行後に設置され本件犯行当時には存在しなかった信号機の存在に気づき、同行した捜査官にその旨指摘するなどしていること、前記二で認定したとおり、Bは、被害者の携帯電話機の発見につながる供述を捜査機関に対して行っており、同携帯電話機が発見された相原池は、Bが被害者をa旅館から前原の山中へと運んだと説明する経路上に位置していることが認められる。さらに、B立ち会いの平成一〇年一〇月二五日付け実況見分調書から、本件遺棄現場へと至る道の途中には傾斜角約二三度の急な坂道があり、同坂道を上りながら人の死体を一人で搬送するのは困難であると認められること、右実況見分調書中でBが説明するように、被告人、B、Aのうちの二名が被害者を両脇から支え立たせた状態で搬送したことにより、被害者の足を地面に引きずるかたちとなった結果、前記一で示したようにブーツに笹の葉等が付着することになったと考えて全く矛盾がないこと、前記一認定のとおり、a旅館で被告人、被害者、B及びAの四名が飲酒していた事実が存する一方で、前記六で示したとおり、被告人は、被害者と最後に会って別れた状況について極めて不自然な内容の供述を行っていること等から、被害者の遺棄は、B一人が行ったものではなく、被告人、B及びAの三名が協力して行ったものであることが推認できる。以上述べたことに加え、被害者を遺棄した状況についてなされたBの供述が、被害者を遺棄した事実を認める被告人の捜査段階における自白と大筋において符合していることをも併せ考慮すると、被害者を遺棄した状況に関するBの供述は十分信用に値するものと認められる。
なお、被告人は捜査段階において、本件犯行を認める供述を行った後、検察官から被害者の死体遺棄現場に案内するよう求められた際、被害者を遺棄した現場に至る道順は覚えていないが、同現場の記憶ははっきりしているので同現場まで自己を連れて行って欲しいなどと供述し、結局、捜査官らを同現場に案内することができなかった事実が認められる。しかし、B及び被告人の供述によると、被害者を遺棄した時間帯は夜であり、被告人は、被害者を遺棄するのに適当な場所を探し回った結果、前原山中の本件遺棄現場へと行き着いたのであって、前もって被害者を遺棄する場所を決めて被害者を運んだものではないと認められるため、現実には被害者を遺棄していながら、その遺棄現場に至る道順を追想できないという事態も十分考えられ、また、被告人は、自ら捜査段階において被害者を遺棄した現場が踏切を通過した先に存在する山の中であることを図示する図面を作成し、その捜査段階における自白調書においては、少し段差のある上の部分に竹林があり、そこに被害者の死体を上げて遺棄した旨供述しており、右図示及び供述にかかる遺棄現場が実際に被害者が遺棄されていた現場の状況と合致していること等に照らすと、被告人が捜査官らを被害者の死体遺棄現場へと案内できなかった事実をもって、被告人が被害者を遺棄していないことを推認するのは妥当ではない。したがって、被告人が捜査官らを遺棄現場に案内できなかったという事実が、前記B供述の信用性を失わせるものではない。
よって、前記のBの供述及び同供述と符合する限度で信用性の認められる被告人の捜査段階における自白により、被告人、B及びAの三名が、a旅館七号室において何らかの原因により一時失神して不動の状態となった被害者を、車で前原の山中まで運んで遺棄したという事実が認められる。
この点、弁護人は、Bの指示する態様、経路で被害者の体を運ぶのは、途中に繁華な場所を通ることに照らして不自然であるので、この点信用性に欠けると言う。確かに、指摘の点は首肯できるものがあるが、以上判示してきた本件遺棄場所における遺棄行為の認定に消長をきたすものではない。
2 次に、右認定を前提として、a旅館七号室で被害者が失神するに至った原因について検討する。この点、Bは、前記四の1で示したとおり、被告人がa旅館の部屋で被害者に暴行を加えた状況等について詳細かつ具体的な供述をしていることが認められる。しかしながら、Bは、前記四の2で示したとおり、被害者に加えられた暴行の態様に関する供述を著しく変遷させており、その供述経過を見ても、自己の刑責軽減を図ろうとする意図や捜査官に迎合した供述を行おうとする傾向が顕著であって、その供述姿勢には大いに問題があると言わざるを得ない。また、変遷の結果なされるに至ったBの公判供述の内容を見ても、被告人が相原池に捨てたとする被害者の黒のバッグは、同池で発見されたセカンドバッグとは別の物であることが同人自身の供述から明らかであるところ、右黒のバッグは未だ同池から発見されておらず、また、被告人が被害者から取り上げたとされる黒の財布も未だその行方が分かっていないなど、物的証拠による裏付けに欠けること、Bは、約一〇分間、被告人から顔や頭を殴られた被害者の顔の様子について、腫れがあったかもしれないという程度であまり記憶がないなどと曖昧な供述に終始しているが、約一〇分もの間、Aから羽交い絞めにされた被害者が被告人から一方的に殴られ続けたとすると、その顔には顕著な腫れや青痣、出血等の打撲傷を負ったと考えるのが自然であるから、被害者の顔かたちの変化についてさしたる記憶がなく、その描写に欠けるBの右供述は極めて不自然であると言わざるを得ないこと等、その信用性を疑わしめる事情が少なからず存在するため、被害者への暴行状況に関するBの公判供述に全面的な信用性を認めるのは甚だ危険と言うべきである。しかしながら、Bの右公判供述と、前記五で述べた被告人の捜査段階における自白を対照すると、両者の供述は、平成九年九月三〇日の夜、a旅館二階の部屋で被告人、被害者、B及びAの四人で飲酒していた際、被告人と被害者が喧嘩になり、被告人が被害者の顔面等を手拳で複数回殴ったところ、倒れた被害者が意識を失い身動きしない状態となったという限度では概ね一致しており、かかる限度では信用性を認めることができる。したがって、平成九年九月三〇日の夜、a旅館七号室において被告人が被害者に対し、その顔面等を手拳で複数回殴る暴行を加えたことにより、被害者が一時失神したことが認められる。
3 さらに、被告人の右暴行と被害者の死の結果との因果関係の有無について検討する。この点、前記三で示したとおり、本件で被害者の死因は厳密には明らかではなく、文字どおり被害者の死因が不明だとすると、右因果関係の証明は尽くされていないことになる。以下、起訴状記載の公訴事実にあるように、被害者が生前、被告人の暴行により、a旅館七号室において頭部に頭蓋冠及び頭蓋底の骨折を負った結果、外傷性の脳障害が起きて死亡するに至った事実が証明されているか否かについて検討する。
まず、先に判示したように、捜査段階から数度にわたり供述を変遷させていたBは当公判廷において、被害者は、Aから羽交い絞めにされた状態で約一〇分間、被告人から手拳で殴られた後、両膝を畳についてうつ伏せに倒れたと供述する。しかし、前記三で示したとおり、頭蓋冠及び頭蓋底の骨折は、頭蓋冠に非常に強大な力が局所的に作用して始めて生じ得るものであり、人が手拳で殴打しただけでは生じ得ず、人の手拳による殴打が関係する場合は、殴打された被害者が転倒してその頭部を壁等に激しく衝突させた場合でなければ生じ得ないと考えられるところ、Bは、自己が被害者の両足を押さえる以前に、被告人から殴られた被害者がその頭部を壁等に激しくぶつける場面があったなどという供述は一切しておらず、Aが被害者を羽交い絞めにしてから、被害者が畳の上に倒れるまでの間に、被害者がその頭部を壁等に激しく衝突させる事態は容易に想定しがたいと考えられるので、仮にBの右供述に信用性を認める場合には、結局、a旅館七号室において、被害者がその頭部に頭蓋冠及び頭蓋底の骨折を負った経緯の合理的な説明がつかない。
そこで、次に、被告人の捜査段階における供述について見ると、被告人は前記五の1で示したとおり、後方に倒れた被害者が頭を壁にぶつけて動かなくなったなどと供述する。そこで、前記三に示したとおり、頭蓋冠及び頭蓋底の骨折は頭部を壁やテーブル等に激しく衝突させることでも生じ得るため、被害者が転倒して壁に頭をぶつけた際に、右骨折を負い死亡するに至ったとして、被告人の右供述に信用性を認めることも全く考えられないことではない。しかしながら、以上判示したところから明らかなように、当時現場にいたBは、繰り返し供述を変遷させているが、その中で一度もこのような内容の供述をしたことがなく、単に被告人の右供述で説明がつくことを理由としてこれに信用性を認めることはできない。
本件において、被害者の右骨折が、同人を前原の山中に運んで遺棄する過程や遺棄後の何らかの事情により生じた可能性も否定できないことに加え、被害者が倒れて動かなくなった状況については前記のとおり、Bと被告人とでその供述が大きく異なっていること等をも考慮すると、これらの供述に信用性を認めることはできない。したがって、被害者がその頭部に頭蓋冠及び頭蓋底の骨折を負うに至った経緯は結局のところ不明と言わざるを得ず、前記因果関係の証明は尽くされてない。
よって、被告人の前記2の暴行と被害者の死の結果との間に因果関係を認めることはできない。
4 以上で述べてきたところから、被告人らがa旅館七号室に居た時点及び被告人らが被害者を遺棄した時点のいずれにおいても、被害者が死亡していた事実を認めるに足りる証拠は存在しない。
八 結論
以上により、被告人に公訴事実記載の傷害致死罪の成立を認めることはできず、前記七の2の暴行によって被害者を一時失神状態に陥らせたという限度で被告人には傷害罪の成立が認められる。本件は重大犯罪ではあるが、本件公訴事実の内容及び前記遺棄状況について、Bが検察官の主尋問に対し、遺棄の中途で被害者の頭部に衝撃が加わったことはなかった旨述べていること等の本件関係各証拠に照らしても、裁判所において被害者死亡の時期、場所についての訴因変更を命じる余地はなかったものと考える。
なお、検察官から、Bの検察官調書等の取調べを理由とする弁論再開請求があり、当裁判所はこれを却下したので、この点について付言する。Bの供述内容は右因果関係の認定において重要な要素となっているものの、同人の調書に関する当初の検察官の請求・Bの証人尋問・弁護人からの証拠開示の申出・これを受けての検察官の追加請求という本件審理の経過に照らせば、右追加請求から約九ヶ月後であり弁論終結の約二ヶ月後である判決宣告の当日になってなされた右弁論再開請求は遅きに失するものという他無く、これを却下しても審理不尽の違法は無いものと考える。
また、死体遺棄の本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから、刑訴法三三六条後段により被告人に対し無罪の言渡しをする(なお、被害者を遺棄した前の被告人の行為により被害者が死亡したか否かが不明である以上、被告人に保護責任者遺棄罪や同遺棄致死罪の成立も認められない(大阪地判昭和四六年九月九日判例時報六六二号一〇一頁)。この点について、死体損壊行為の当時被害者がいまだ生存していた可能性がある事案について死体損壊罪の成立を認めた東京高判昭和六二年七月三〇日(高等裁判所刑事判例集四〇巻三号七三八頁、東京高等裁判所刑事判決時報三八巻七~九号九六頁)や同様に死体遺棄罪の成立を認めた札幌高判昭和六一年三月二四日(高等裁判所刑事判例集三九巻一号八頁)があるが、これらは全て先行行為による被害者死亡の結果発生の事実は認定できた上、被害者死亡の時期が判明しなかった事案についてのものであり、本件とは事案を異にする。)。
(法令の適用)
罰 条 刑法二〇四条
刑種の選択 懲役刑
未決勾留日数の算入 刑法二一条
訴訟費用の不負担 刑訴法一八一条一項ただし書
(量刑事情)
本件は、判示のとおりの傷害の事案である。
被告人は、かつての仕事仲間であり、従前から一緒に飲酒するなどして親しい関係にあった被害者に対し、その顔面等を手拳で殴る暴行を加えて失神させており、その犯行態様は極めて危険なものであって軽視することはできない。
被告人は、被害者に対する右暴行行為に及びながら、公判において本件犯行に対する自己の関与を全面的に否定するなどしており、その反省の情は乏しいと言わざるを得ない。
また、被告人はこれまで暴行、傷害等の同種前科を多数有しながら、今回再び本件のごとき暴行行為に及んでいることに照らすと、本件犯行は被告人の粗暴的性格の現れであるとも評価しうる。
さらに、被告人は本件犯行後、意識を失った被害者を、B、Aとともに人里離れた山中に遺棄するなどしており、その犯情も悪質と言わざるを得ない。
しかしながら、本件では、被告人が被害者に判示の暴行を加えるに至った経緯について、未だその真相は明らかとなっていない。
そこで、これら諸般の事情を総合考慮した上で、被告人を主文掲記の刑に処するのが相当であると判断した。
(検察官藤田信宏、国選弁護人船木誠一郎各出席)
(求刑懲役八年)